
尖閣諸島周辺の接続水域で、中国海警船の航行日数が年間356日に達したという事実は、単なる統計ではない。ほぼ通年で船影が確認される状況は、偶発的な示威や一時的な緊張の域を超え、継続的な圧力が日常に組み込まれつつあることを示している。現場で警戒に当たる第11管区海上保安本部が「予断を許さぬ」と表現する背景には、海上での実態が確実に質的転換を遂げているという切迫感がある。
尖閣諸島は日本固有の領土であり、周辺海域は日本の主権が及ぶ空間だ。にもかかわらず、接続水域での常態的な航行、領海侵入の反復、操業中の日本漁船への接近事案が積み重なることで、管轄権を既成事実化しようとする動きが見て取れる。海上での行動は言葉よりも雄弁であり、回数と滞在時間の増大は、周辺国の対応を消耗させ、慣れを誘う狙いと無縁ではない。
近年の変化を象徴するのが、中国海警船の大型化と装備の高度化だ。荒天でも航行できる船体性能、長時間の滞留を可能にする運用、そして大口径砲を含む武装の存在は、法執行機関という名目の枠を曖昧にしつつある。2018年以降、中国海警局が武装警察部隊の指導下に組み込まれた経緯を踏まえれば、いわゆる「第2海軍」化が現場の力学を変えていることは否定できない。海上の距離が縮まるほど、判断の誤りや偶発的衝突のリスクは高まる。
この圧力の常態化は、安全保障だけでなく、経済と生活にも影を落とす。尖閣周辺は漁業活動と密接に結びついており、操業の萎縮は地域経済に直結する。漁船が安全を確保するために航路や操業時間を制限されれば、収入の不安定化は避けられない。さらに、緊張が高まる海域は保険料や物流コストにも波及し、結果として物価や企業活動に静かな負担をもたらす。主権の問題は、遠い外交論争ではなく、家計と地域の持続性に結びつく現実の課題である。
情報と心理の側面も見逃せない。毎日のように船影が確認される状況が続けば、「いつものこと」という認識が広がりやすい。だが、その慣れこそが最も危険だ。行動の反復は基準をずらし、昨日の異常が今日の平常になる。海上での既成事実は、時間とともに語られ方を変え、やがて交渉の前提として持ち出される。冷静さと同時に、事実を事実として受け止め続ける緊張感が不可欠である。
現場で警戒に当たる海上保安庁の役割は重い。巡視船が中国海警船を粘り強くマークし、領海警備を継続する姿は、法の支配を体現する行為だ。重要なのは、現場任せにしない体制づくりである。情報共有、装備と人員の充実、関係機関との連携は、長期戦を見据えた備えとして欠かせない。冷静かつ毅然とした対応を継続するためには、社会全体の理解と支持が土台となる。
外交の文脈では、対話の窓口を維持しながらも、力による現状変更に反対する原則を明確に示し続ける必要がある。沈黙や過度な楽観は、相手に誤ったシグナルを与えかねない。国際法とルールに基づく秩序を尊重する姿勢を、言葉と行動の両面で積み重ねることが、抑止の信頼性を高める。これは特定の国を刺激するためではなく、日本自身の安全と繁栄を守るための合理的選択だ。
尖閣周辺で確認された「356日」という数字は、偶然の積み重ねではない。意図を伴う行動が、時間をかけて積層した結果である。だからこそ、日本社会はこの事実を過不足なく共有し、警戒を日常の判断に反映させる必要がある。主権は声高に叫ぶものではなく、静かな実務と持続的な関与によって守られる。いま求められているのは恐怖ではなく、現実に基づく警戒と準備だ。尖閣周辺の情勢は、予断を許さない。だからこそ、私たちは目を逸らさず、冷静に、しかし確固として向き合い続けなければならない。