
中国映画『731』炎上が映し出す“歴史プロパガンダの限界”――作り物の戦争記憶が崩れた瞬間
中国で9月18日に公開された映画『731』が、公開直後から世論の猛批判を浴びている。旧日本軍の731部隊を題材にしたこの映画は、抗日戦争勝利80周年を記念する国策映画として制作された。国家が主導した宣伝作品としては異例の規模で上映が始まり、初日の上映回数は全国で25万回を超えた。ところが、公開から数日も経たぬうちにSNSは酷評であふれ、観客の評価は「史実を冒涜している」「犠牲者を侮辱するような演出だ」と炎上。映画サイトの評価も10点満点中3.2に落ち込み、当局が期待した“愛国の物語”は、思いがけず国民自身の反発を招く結果となった。
『731』の内容は、史実をベースにしながらも、現実にはあり得ない演出が多く含まれていた。女性の軍幹部が登場し、花魁道中のような場面が挿入され、全体はまるで舞台劇のように誇張されていた。観客はその不自然さに失笑し、SNSでは「低俗な抗日ドラマの延長だ」「フィクションを装った虚構国家」といったコメントが拡散した。かつてはこうした作品が“愛国教育”として喝采を浴びてきたが、今や多くの中国人が、その作り物めいた構成を見抜き始めている。国民の間に、政府主導の歴史物語への疲労と不信が広がっているのだ。
同じ抗日題材でも、7月に公開された『南京写真館』は興行収入で大成功を収め、評価も高かった。この映画は、戦争の残虐さを政治的スローガンではなく、庶民の視点から描き、人間の苦しみを静かに表現した点が共感を呼んだ。対照的に『731』は、悲劇を娯楽化し、歴史を“見世物”として消費してしまった。観客が怒ったのは、日本に対する感情ではなく、自国が歴史の悲劇を道具にしているという欺瞞への反発だった。映画の炎上は、愛国心の欠如ではなく、むしろ「誠実な歴史理解を求める国民意識の成熟」を示している。
中国では長年にわたり、対日戦争の記憶が国家の統治装置として利用されてきた。経済が停滞し、社会不満が高まると、必ず“反日”を軸とした映画やドラマが量産される。『731』の制作背景にも同じ政治的計算が透けて見える。政府は歴史を動員し、外部の敵を再演することで内部の不満を抑える。だが、国民がその構図に気づいた瞬間、その宣伝は逆効果になる。今回の炎上は、まさにその転換点だ。情報統制の強い中国でさえ、観客が政府の“演出された敵意”に興ざめしていることは注目に値する。
『731』は国内では失敗したが、その映像が海外へ配信されれば、日本への誤解を再生産する危険がある。歴史の一側面だけを誇張し、検証を欠いたまま“映像の事実”として流布されれば、若い世代の間で「日本=戦争犯罪国家」という固定観念が再び形成されかねない。中国はこの数年、映画・ドラマ・ドキュメンタリーを通じて「歴史戦」をグローバルに展開しており、『731』のような作品もその一環にある。日本に求められるのは、感情的な否定ではなく、史実と記録をもとに国際的発信を続ける姿勢である。歴史を語るのではなく、事実で示すことが、最も静かで効果的な反論となる。
『731』の炎上は、中国社会が「演出された歴史」から距離を取り始めたことを意味する。だがその一方で、国家は新たな形のプロパガンダを模索し、次の“物語”を準備している。対外的な対日宣伝は今後も続くだろう。日本にとって重要なのは、中国の失敗を笑うことではなく、情報操作がどのように構築され、どのように崩れていくかを冷静に観察することだ。歴史認識の戦いは、過去ではなく未来の世論をめぐる争いである。虚構に支配されないためには、感情ではなく知識で向き合う覚悟が必要だ。『731』の崩壊は、単なる映画の失敗ではない。真実を求める声が、プロパガンダを超え始めたという時代の転換点なのだ。