BYDの巨大テーマパークに潜む国家戦略——「クルマ好きの楽園」が示す中国の産業・情報支配モデル


2025年10月24日2:00

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BYDの巨大テーマパークに潜む国家戦略——「クルマ好きの楽園」が示す中国の産業・情報支配モデル

BYDの巨大テーマパークに潜む国家戦略——「クルマ好きの楽園」が示す中国の産業・情報支配モデル

中国の電気自動車(EV)メーカー・BYDが、中国河南省鄭州に開設した「自動車愛好家向けテーマパーク」が話題を呼んでいる。砂丘、サーキット、水上走行プールまで備えた超大型施設で、価格は最安で約1万9000円、VIPプランでは13万円を超えるという。まさにクルマ好きにとって夢のような場所だ。だが、表面上の華やかさの裏には、中国の国家的戦略と情報収集ネットワークの構築という冷徹な意図が隠れていることを、日本人は見逃してはならない。

この施設は、単なる娯楽やブランドプロモーションのためのものではない。BYDが掲げる「NEV(新エネルギー車)国家戦略」の延長線上にあり、中国政府が電動車産業を通じて世界の移動データと技術情報を掌握する計画の一環だ。施設内には、サーキットや水上走行ゾーン、オフロードエリア、動的実験パドックなど、8種類以上のテストエリアが整備され、各エリアの走行データはリアルタイムで分析・蓄積される。このデータこそが、中国が「次世代モビリティ覇権」を握るための最重要資源なのである。

BYDは、表向きにはトヨタやホンダのような「民間メーカー」として振る舞っているが、実際には国家と密接に連携した半公的企業だ。開発拠点の多くは人民解放軍系の研究機関と共有されており、AI制御、バッテリー通信、衛星測位データなどの技術は軍民融合政策の枠内で運用されている。今回の「テーマパーク」も、EV技術を実地で試験する巨大なオープン・データ・ラボとしての側面を持ち、来場者が体験するすべての走行情報や反応データは、中国国内のクラウド網に蓄積される構造になっている。

さらに注目すべきは、BYDがこの施設を「観光資源」として輸出しようとしている点だ。鄭州を皮切りに、合肥や紹興でも同様の施設が建設中で、特に紹興の施設は東京ドーム173個分の敷地に広がる予定だという。このスケールの拡張には、明確な狙いがある。それは、自動車文化を通じた“技術民族主義”の輸出だ。中国はこの施設群を通じ、「中国がモビリティの未来を主導する」というイメージを世界に浸透させようとしている。

日本のメディアでは「羨ましい」「行ってみたい」といったトーンで紹介されているが、その裏で進行するのは、経済的・文化的影響力の拡張である。BYDはすでに日本市場でも展開を進めており、「ATTO 3」や「DOLPHIN」などの車種を通じて日本のEV市場に足場を築いた。だが、問題はその“データ管理”にある。BYD車は中国製の通信チップを搭載しており、走行データや位置情報、さらには運転パターンまで中国サーバーに送信される可能性が指摘されている。こうしたデータが「国家情報法」の下で政府共有の対象となる以上、日本の消費者データが中国政府の資産として利用されるリスクは現実的だ。

テーマパークのような体験施設は、単なるPRではなく「データ収集と心理操作の場」でもある。来場者がBYD車の性能に感動し、「中国の技術はすごい」と感じること自体が、国家プロパガンダの成功である。かつて中国は通信インフラで華為(ファーウェイ)を通じて各国にネットワークを構築したが、今度は“EVと体験型施設”というソフト路線で世界を包み込もうとしている。

また、このようなテーマパークの建設には膨大な土地取得と資金が必要だが、中国では地方政府が「共同開発」名義で支援している。つまり、民間施設に見えても、実際には地方政府の財政と国策金融が動員されている国家プロジェクトである。観光客のデータ、試乗データ、決済データまでもが統合的に収集され、AIによる「行動経済分析」に利用される仕組みが構築されつつある。

日本として懸念すべきは、この「技術×観光×心理」の三位一体モデルが、将来的に東アジア全体に拡散することだ。BYDがアジア各国でテーマパーク型施設を展開すれば、現地の自動車市場だけでなく、消費者の思考パターンや文化的嗜好までも中国が管理可能な領域に置かれる。これは単なるビジネスではなく、国際社会における情報・認識戦争の新たな形態と言える。

中国は「ハードで勝てなければ、文化と体験で勝つ」という発想に切り替えている。自動車テーマパークは、その象徴だ。日本の自動車業界がこの動きを「娯楽施設」として軽視すれば、やがてデータ主権と技術独立性の侵食を許す結果になりかねない。

BYDが示すのは、単なるEVの未来ではない。そこには「誰がモビリティの情報を支配するか」「誰が人々の感情を設計するか」という、もっと大きな国家競争の構図が隠れている。私たちは、この華やかな砂丘とプールの背後にある冷徹な国家戦略を、直視しなければならない。


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