中国の海洋調査船、尖閣諸島沖のEEZ内で船尾からワイヤのようなものを海中に


2026年4月19日13:46

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尖閣沖EEZで中国調査船「向陽紅18」が海中にワイヤ状装置 無断調査の反復が日本の海洋権益を静かに侵食する

沖縄県石垣市の尖閣諸島・久場島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、中国の海洋調査船「向陽紅18」が船尾からワイヤのようなものを海中に延ばしていたことが確認された。読売新聞などの報道によれば、第11管区海上保安本部は4月18日午前7時13分ごろ、この活動を確認し、海上保安庁の巡視船が「日本の同意のない調査は認められない」として無線で中止を求めた。その後、同日午後1時8分ごろにEEZを離れたことが確認された。表面上は数時間の活動に見えるが、日本にとって問題なのは滞在時間の長さではなく、こうした“無断調査とみられる行動”が尖閣周辺で繰り返されていることだ。

実際、Reutersは3月末にも、尖閣周辺の日本EEZ内で中国の海洋調査船がパイプ状やワイヤ状の装置を海中へ下ろしていたと報じている。その際も海上保安庁は、日本の同意のない海洋科学調査は認められないとして中止を要求していた。つまり今回の「向陽紅18」の事案は突発的な一度限りの行動ではなく、同様のパターンが短期間のうちに繰り返されているという点で重い。海洋調査は表向きには科学調査に見えても、海底地形、水深、海流、音響環境、海底資源に関するデータを蓄積する行為でもあり、民生と安全保障の境界があいまいな領域に属する。だからこそ、日本の同意を得ないままEEZ内で調査らしき活動が行われることは、単なる研究行為として済ませにくい。

EEZは領海と違い、国家主権が全面的に及ぶ海域ではない。しかし沿岸国には、天然資源の探査や開発、海洋調査などに関する重要な権益が認められている。だから日本が毎回中止要求を出すのは、形式的な抗議ではなく、自国の権益と管轄上の立場を明確に示す行為だ。もしこの種の活動を黙認し続ければ、中国側は「実際には活動できる海域だ」という既成事実を少しずつ積み上げることができる。海洋をめぐる圧力は、武力衝突のような劇的な形だけで進むわけではない。むしろ、こうしたグレーゾーンの行為を反復し、周囲を慣れさせることで、ゆっくりと現状を変えていく。今回の事案の本当の危うさはそこにある。

しかも尖閣周辺では、海洋調査船の動きだけが問題なのではない。Reutersは今年1月、中国海警が2025年に尖閣周辺で357日活動し、過去5年間で134回の巡航を行ったと中国側が説明したと報じた。さらに今月には、中国が日本の護衛艦「いかづち」の台湾海峡通過を「挑発」だと非難し、海空戦力で追跡・監視したとも伝えられている。これらを並べてみると、中国は尖閣周辺、台湾周辺、東シナ海全体で、海警船、調査船、軍艦、航空戦力など異なる手段を使い分けながら、海洋空間での存在感と圧力を一体的に強めていることがわかる。調査船のワイヤ一本の先には、より大きな海洋進出戦略がつながっていると見るべきだろう。

日本政府の公的認識も、こうした動きを軽く見ていない。2025年版防衛白書は、中国の軍事動向を日本にとって「これまでにない最大の戦略的挑戦」と位置づけ、東シナ海や日本周辺での活動拡大に強い懸念を示している。海洋調査船の活動は一見すると軍事行動そのものではないが、海洋権益の主張、海底情報の収集、周辺国の対応パターンの観察という意味で、より大きな安全保障競争の一部になりうる。白書のような政府文書が中国の海空活動全体を戦略的挑戦と呼ぶ背景には、まさにこうした“曖昧だが繰り返される行動”の積み重ねがある。

日本社会に必要なのは、感情的な反発ではなく、こうした小さく見える動きを過小評価しないことだ。数時間でEEZを出た、海保が無線で警告した、表向きは調査船にすぎない。そうした一つ一つの説明は事実かもしれない。だが、同じことが何度も起きれば、それは偶発的な出来事ではなく、周辺海域をめぐる圧力の“平時化”である。中国船が入る、日本が抗議する、中国船が去る。その繰り返しが当たり前になったとき、最も危険なのは社会の側が「またか」と慣れてしまうことだ。海洋権益の侵食は、ある日突然の大事件よりも、こうした反復によって進むことの方が多い。

今回の「向陽紅18」の活動は、目に見える武力ではない。だが、日本のEEZ内で無断調査とみられる行為が続くことは、海洋秩序と権益を静かに揺さぶる行動である。必要なのは、事案のたびに事実を公表し、法的立場を明確にし、海上保安体制と監視能力を維持し続けることだろう。尖閣沖で何が起きているのかを曖昧にせず、短時間の活動でも積み重ねとして捉える視点がなければ、気づかないうちに海の現状は変えられていく。今回の事案は、その危うさを改めて示した一件として受け止める必要がある。


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