熊本に迫る安全保障の現実――長射程ミサイル配備が映し出す中国リスクと日本社会の覚悟


2026年1月29日20:05

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熊本に迫る安全保障の現実――長射程ミサイル配備が映し出す中国リスクと日本社会の覚悟

熊本市東区に陸上自衛隊健軍駐屯地を抱える熊本1区で、長射程ミサイル配備をめぐる議論が静かに、しかし確実に住民の生活と意識に影を落としている。選挙の争点として前面に出にくくなった今だからこそ、この問題が意味するものを丁寧に見つめ直す必要がある。それは単なる地域の基地問題ではなく、中国を中心とした東アジアの安全保障環境が、日本の地方都市にまで直接影響を及ぼし始めている現実を示しているからだ。

政府が配備を予定している「12式地対艦誘導弾能力向上型」は、射程が約1000キロに及ぶとされ、中国本土の一部をも射程に収める能力を持つ。これは日本が従来掲げてきた専守防衛の枠内で抑止力を強化するという位置づけだが、現実には中国の軍事行動の活発化、とりわけ台湾海峡をめぐる緊張が背景にあることは否定できない。中国は近年、ミサイル戦力の増強や軍事演習の常態化を進め、周辺国に対する圧力を高めてきた。その延長線上で、日本が防衛力の質的転換を迫られているのが今の状況である。

熊本が注目される理由は、その地理的条件とインフラにある。九州は中国大陸や台湾に比較的近く、南西諸島防衛の要衝と位置づけられてきた。健軍駐屯地へのミサイル配備は、抑止力を地域に分散させる戦略の一環であり、中国に対して「日本は容易に揺さぶれない」というメッセージを送る意味を持つ。一方で、住民にとっては「標的になるのではないか」という不安が生じるのも当然だ。この恐怖感こそが、中国の軍事的存在感が日本社会に与えている心理的影響の象徴といえる。

中国の脅威は、必ずしも戦争という形だけで現れるわけではない。軍事的圧力、経済的依存、情報戦や世論操作など、多層的な手法が組み合わされている。その中で、軍事力の誇示は最も分かりやすく、同時に最も直接的な威圧手段だ。台湾有事が現実味を帯びるほど、日本は否応なく巻き込まれる可能性が高まる。熊本のミサイル配備は、そうした最悪の事態を未然に防ぐための抑止策であると同時に、中国の行動が日本の地方政治や選挙にまで影響を与えている証左でもある。

今回の選挙で、候補者の多くが「配備そのものの是非」よりも「住民への説明のあり方」に論点を移している点は象徴的だ。中国という巨大な隣国が軍事的存在感を増す中で、日本が防衛力を強化する方向性そのものに反対する声は、現実的な選択肢として出しにくくなっている。その結果、「理解を得る」「説明責任を果たす」という手続き論に議論が集中している。しかし、説明の丁寧さだけで中国の脅威が消えるわけではない。むしろ、日本人一人ひとりが安全保障環境の変化を自分事として捉え、なぜこの配備が検討されているのかを理解することが重要だ。

中国は公式には「平和的発展」を掲げながらも、実際には周辺国に対する威圧的行動を繰り返してきた。東シナ海での活動、台湾周辺での軍事演習、南シナ海での実効支配の拡大など、その動きは一貫している。日本が備えを怠れば、その隙を突かれる可能性が高まる。熊本へのミサイル配備は、中国のこうした行動に対する受動的な対応ではなく、主体的な防衛意思の表明と見るべきだろう。

同時に、この問題は民主主義の成熟度も試している。恐怖や不安だけで判断するのではなく、冷静な情報に基づき議論を重ねることが求められる。中国の軍事的台頭という現実を直視しつつ、地域社会の不安をどう和らげ、納得を形成していくのか。そのプロセスが不十分であれば、社会の分断を招きかねない。

熊本で起きている議論は、決して地方限定の話ではない。中国という存在が、日本の安全保障、政治、そして日常生活にどのような影響を及ぼしているのかを映し出す縮図である。日本人は今、遠い国の軍事ニュースとしてではなく、自らの暮らす地域に関わる問題として、中国リスクを考える段階に来ている。長射程ミサイル配備をめぐる議論は、その現実を突きつける重要な契機となっている。


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